各界の第一線で活躍する著名人へのインタビューによる連載ページ“エドックス ラヴァーズ”。
プロフェッショナルな仕事へのこだわりや、彼らの愛用ウォッチなどに迫ります。
今月は、バレーボール日本代表選手として活躍後、ビーチバレーボールに転向し、北京五輪で日本ビーチバレー男子史上初の歴史的勝利を達成し、現在NPO法人日本ビーチ文化振興協会理事長として多岐に渡って活動する、元プロビーチバレーボール選手・朝日健太郎氏です。

前人未到への挑戦

ビーチバレーを始めたきっかけは何ですか?

元々インドアバレー選手として日本代表をやってきましたが、現役時代、日本代表のオリンピック出場はついに叶わなかったんです。ですから、オリンピックにチャレンジしてみたくて、2002年にビーチバレーに転向しました。誰もやったことのないことへの挑戦は魅力でしたし、ずっとインドアでやってきた僕にとって、開放的なアウトドアへの憧れもあったんだと思います。

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周囲の反対で固めた決意

大きなキャリアチェンジに不安はありませんでしたか?

「先人がいないからこそ、やってやろう!と思いましたね。先の見通しや想像がつかないですから、変な不安やプレッシャーもなかったんです。でも、周囲にはすごく反対されました。特に両親には心配されましたね。今振り返ると、周囲を説得することは、自分の腹を固めるために必要な作業だったと感じています。恩師も、そこまで腹を決めているなら、と最後には僕の情熱と意思を尊重してくれました。

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難しいからこそ面白い

インドアバレーからビーチバレーに転向されて感じた違いや苦労は?

インドアは6人制ですが、ビーチバレーは2人制ですので、一人当たりの役割が大きく増え、責任がのしかかってきました。でもストレスがかかる一方、結果に繋がるとその分大きな達成感がある。企業の一社員として実業団に所属していたインドアバレー時代から、ビーチバレーではプロアスリートとして自分で自分の責任を取らなくてはならないと実感したことも新鮮でした。 技術的に大きく違ったのは“風”です。ボールが流れるのでボールの行方を読まなくてはいけません。コートも、体育館の床から砂になりましたから、体が慣れるまで時間がかかりました。ビーチバレーは、人間がコントロールし得ない自然環境の中でのスポーツですから、そこが一番難しいところであり、面白いところでもあります。インドアとの違いをマイナスと捉えず、むしろ克服しようとする力に変えていました。

自然と対峙して鍛えたメンタル

プロフェッショナルとは?

自己管理、セルフマネジメントだと思います。自分を高めていくには、“努力”その一言に尽きると思うんです。アスリートは浮き沈みの激しい職業です。調子が悪いと結果を出せないですし、調子が良くてもそれを維持するのは難しい。全力疾走でやるのみです。 よく勢いのある若い選手が勝ち抜いていくことがありますが、ある時急に勝てなくなる。“壁”にぶち当るんです。風や砂など自然と対峙するビーチバレーでは、フィジカルやテクニックだけでなく、強いメンタルが求められます。本当に強くなるには克服しなければならないんです。テニスでもジョコビッチ選手が錦織圭選手に最近「ようやくトップランカーの仲間入りをした」と発言したそうですが、ビーチバレーも年齢層の高いベテラン選手が活躍するのは、それ相当のメンタルとキャリアが必要なスポーツだからでしょう。

モトプロビーチバレー選手・朝日健太郎氏EDOX着用

日々大事にされていることや、こだわり、意識されていることはありますか?

体調管理、そして時間管理(タイムマネジメント)、自己管理(セルフマネジメント)です。現役を引退した今、フィジカルを鍛える必要はないので、いろんなことに忙殺されることがないよう意識しています。

スポーツで培った経験を社会に還元したい

今後の目標とは?

今は情報通信コンサルティングを行う企業「フォーバル」の人事部の社員として、学生の採用や研修を行っています。スポーツを通して培った自分のキャリアをビジネスに適応したいと考えています。自分を高めることは、どんな分野のどんな職業にも必要だと思うんです。情熱や裏づけ、言葉や振る舞いから資金集めまで・・・価値を高めることを幅広い方々に還元していきたいです。大学院でスポーツ科学を専攻し、学んだのもそういう想いからでした。そして、子供達に身体を動かす喜びや楽しさを伝えたい。その中でオリンピックに興味を持ったり、目指したりしてくれる方がいたらいいなと思いますね。


朝日 健太郎 http://www.kentaro-asahi.asia/
Profile

1998年 法政大学卒後、サントリー(株)に入社。2001年男子バレーボールVリーグ3連覇し、新人賞、ブロック賞を獲得。
全日本に選出され、男子バレー人気を築き、全日本の主力として活躍。2002年、インドア全日本代表からビーチバレーに転向。2005年2月、ジャパンツアー年間優勝を果たし、白鳥勝浩とペア結成後、前人未到の国内大会9連覇を達成。2007年国内ツアーでは史上初の5大会完全制覇を遂げ、2008年には悲願の北京五輪を果たし、日本ビーチバレー男子史上初の勝利をあげ、9位になった。2010年広州アジア大会では銅メダルを獲得、年間MVPを獲得。2012年ロンドン五輪に2大会連続出場、同年9月に現役引退。現在、男子6人制バレーボール部FORVAL BONDS監督を務める他、インドアバレーの解説や講演活動、メディア出演など多岐にわたり活動。また、日本のビーチ活動を支援するNPO法人日本ビーチ文化振興協会の理事長に就任し、ビーチとインドアバレーの架け橋になるべく活動。また東日本大震災で被災した東北のビーチ復興にも力をいれ、バレーボール教室なども実施している。

Photography:Hajime Kamiiisaka
撮影協力:株式会社フォーバル
Special Thanks:Sunny Side Up / Three point one four Ltd.