各界の第一線で活躍する著名人へのインタビューによる連載コラム“エドックス ラヴァーズ”。プロフェッショナルな仕事へのこだわりや、彼らの愛用ウォッチなどに迫ります。 今月は、2006年、WRC世界ラリー選手権「モンテカルロ・ラリー」のプロダクションクラスでアジア人として初優勝を飾るほか、全日本ラリー選手権においても2002年から5年連続でチャンピオンになるなど、華々しい経歴を誇るラリードライバーの奴田原文雄さんです。

まず行動、結果は後から

ドライバーは子供のころからの夢?

そうでもないんです。子供のころはスーパーカーブームもあり、もともとクルマは好きでした。まさか自分がドライバーになるなんて思ってませんでしたが。契機は大学3年のとき。バイト先のレストランで働いていた先輩コックさんがたまたまプライベーターとしてラリー競技をしていまして。あるとき、そんな彼から自分が乗っていたラリー車を買わないかと。当時まったくラリーへの意識はなかったんですが、ラリー車の助手席に乗せられて、コーナーを横向きに進入する感覚を体感したところ、一発でやられちゃいました(笑)。
結局先輩のラリー車を購入。バイト代をすべてガソリン代につぎ込んでは、毎日のように乗り回していました。

奴田原文雄氏イメージ1

プロに転向した経緯は?

アマチュア競技に出始めたのが22歳と遅いんですが、運転技術は独学か先輩に教わって高めていきました。情報源は本くらいですから、自動車雑誌や教則本をむさぼるように読んでは、練習していました。大学を卒業後、ひとまず就職。働かないと自動車競技を続けられませんので。給料はほぼラリーに(笑)。まずは競技会にエントリーフィーを支払って、残りでの生活です。ですから仕事はラリーありき。休みが取れて、できれば給料も良くて(笑)。
徐々に成績を残し始めていたので、全日本選手権に出られるようになりました。そのころ、アマチュアとしてですが、現在のADVANラリーチームに入ることができたんです。当時は国内の転戦のみでしたから、徐々に海外参戦したい思いが高まりました。ただ、サラリーマンでしたので長期の休みがとりづらい。そこで、海外参戦できないなら「辞めちゃえばいいか」と、後先考えずに仕事を辞めてしまったんです(笑)。じゃあ収入をどうしようかという矢先に、ADVANチームのスポンサーである横浜ゴムさんから「だったら、プロ契約するか」といううれしい話をいただけて。本当に感謝ですよね。自分はだいたいそうなんですが、まず行動、そして結果は後からというスタイル(笑)。

周囲の助けがあってこそ

順風満帆のように見えますが、ラリーのプロドライバーとしてのご苦労は?

苦労してきたという実感がないんですよね(笑)。今たまたま僕はプロのラリードライバーとしてやっていますが、日本のラリー界には純然たるプロはほとんどいない。だからといって、プロへの道を切り開くぞ、と当初から思っていたわけではなく、単純にひとつ上のステップに行きたいという思いをひとつひとつ叶えてきた結果。地方大会から、全国大会、そして世界へ、という具合に。たまたま結果がついてきてくれたので、ここまで来れた。一時期、自分のマイカーがないときには、友人にクルマを借りて参戦したこともあるんです。優勝商品を借主に「利子」として渡して、また借りる。わらしべ長者みたいですよね(笑)。

その結果、2006年にはラリー・モンテカルロで日本人初となる優勝しました。要因はなんでしょう。

自分のラリー人生でも一番のうれしさでしたね。モンテカルロは、最高峰であるWRC世界ラリー選手権の開幕戦。ラリードライバーなら誰しもが憧れる存在です。山岳の雪面から舗装道路まで異なるステージで、さまざまな路面状況を走破しなければならない。これは、すごく難しいんです。もちろん、これは一人でできることではありません。ラリーにおいて一番特徴的なのは、ドライバーとコ・ドライバーのふたりでレースに出場すること。信頼できるコ・ドライバーがいないと成り立たないですし、優秀なメカニックも必要です。ドライバーの腕がいくらよくても、ちゃんとしたセッティングじゃないと勝てない。チーム自体のマネジメントも大事。そのすべてがうまく回るようなチームワークがないとチャンピオンシップにはなれないんです。ドライバーは、そうした歯車のひとつ。チームが準備してくれた状況のもとでミスなく走るというのが、ドライバーの仕事ですね。みんなの努力あってこそです。

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世界に通用するドライバーを

昨年、ラリースクールを開校しました。どんな思いがあるんでしょうか?

後進にプロへの道筋をきちんとつけたかったんです。日本には常設のラリースクールがなかった。続けていけば、世界への道が拓けていくようなラリー界にしたいという思いがあります。そのためには、常設スクールの存在が不可欠。技術を向上させたい人がしっかりと学べる施設が必要です。そして、若いドライバーの発掘ですね。技術がある人をサポートして、早くステップアップできるような環境を作りたかった。これまでは、自分のレースで手一杯でしたが、歳を重ねて後進の指導を考えた時に、この想いに賛同してくれる企業や仲間がいたのも大きかったですね。このラリースクールから世界に通用するドライバーを生み出したいです。

時間との戦いで時計は重要

やっぱり、ラリーに時計は欠かせませんよね?

もちろんです。公式計時が表示されているサーキットでのレースとは異なり、ラリーでは、それぞれのタイムアタックが何箇所かで同時進行されている。各所の積算タイムをチームで管理するので「自分の時計」が大事なんです。コ・ドライバーは必ず時計は2つくらい持っています。大会自体も、出走時刻などすべてスケジュールが分単位で細かく仕切られていますので、その正確性が非常に大事になんです。ラリー専用の時計もあるほど。求められるのは、精度と堅牢性です。そうした腕時計の条件を備えているのがエドックスですよね。普段はクロノラリーを愛用しています。精悍でスポーティな表情がお気に入りです。


奴田原文雄
Profile

1963年高知県生まれ。1986年にラリーデビューを果たし、2年後には、大学時代から拠点としている北海道で地方ラリーのチャンピオンに。2002年から全日本選手権の5年連続チャンピオン達成や、2006年のラリー・モンテカルロ優勝など、第一線で活躍。1994年からADVANラリーチームに抜擢され現在に至る。昨年、国内で唯一の本格的ラリースクールである、ヌタハラ・ラリースクールを開校。後進の指導にも当たっている。

オフィシャルHP
ヌタハラ・ラリースクール
Photography: Yoshinori Eto
Text :Masashi Takamura