各界の第一線で活躍する著名人へのインタビューによる連載コラム“エドックス ラヴァーズ”。プロフェッショナルな仕事へのこだわりや、彼らの愛用ウォッチなどに迫ります。今月は、ドリコンGP初代総合チャンピオン、97年と09年にはスーパーGT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得、現在もスーパーGTなど第一線で活躍するプロレーシングドライバーMAX織戸こと、織戸 学選手です。

織戸氏レースチームイメージ

子供の頃に描いた夢

レーシングドライバーを目指したのはいつ頃ですか?

小さい頃から、将来は絶対レーサーになるんだと決めていました。当時TVでよく放映していたレース中継や、キャビンやラークのタバコCMに出演しているレーサーを見て、カッコいいな!と憧れましたね。サーキットの狼、グランプリの鷹、マッハゴーゴーとか漫画にも影響されて。ギアがついたスポーツタイプの自転車に乗ったり、子供ながらギアを改造して山道を走ったり。当時の男の子の遊びって自転車くらいでしたから。

クルマの世界に入ったのは?

20歳頃です。それまでは年の離れた兄貴のバイクをこっそり裏山で乗ったり、バイクを直したりして、バイクにはまっていたんです。世界シリーズではホンダ、ヤマダ、スズキと日本のメーカーが占めていて、レプリカのバイクが街中で売られ皆乗っていた時代でした。二輪の道を目指した時期もあったけれど、当時ものすごい台数だったし、元々四輪が好きでしたから自然とクルマの世界に向かいましたね。峠や山道を走ったり、港の埠頭を走ったり、まさに映画“ワイルドスピード”の世界ですよ。今でこそサーキットを解放したり、レーサーを育成するスクールがありますが、僕らの頃はサーキットで走る習慣がなかったから。今思うと楽しい時代でした。

ドリフト優勝でつかんだ夢への扉

本格的にレースに参戦するようになったのは?

車系雑誌を通して集まった仲間で、誰が一番上手いか競い合っているうち、その輪が全国に広がって。ドリフトの大会・ドリコンGPで初代総合チャンピオンになったことをきっかけに、レースの世界へ入りました。レースをやっている会社(坂東商会)に就職したのですが、今思うと、“おしん”みたいな世界で(笑)。あの頃、僕にとってはそうすることがレーサーになるための近道でしたから、チャンスを掴むために一所懸命でしたね。夢に向かって突っ走っていました。

ブレない信念と情熱

織戸さんにも下積み時代があったんですね。努力の原動力とは?

幸せなことに好きなことをやらせてもらっているので、努力という感じではないんですよ。周囲には助けてくれる方が沢山いますし。やり続ける上で大変なことは確かにあるけれど、本来自分の目標に向かってやっていることだから当たり前のことです。自分を信じて絶対ブレないで目標さえ見続けていれば、その姿や熱い思いを見ている人は見てくれているもの。目標があればひたすら向かっていくだけ。そして、叶えてしまったらまた新しい目標に向かっていくだけです。


枠にとらわれず自由でいたい

大事にしていること、意識していることはありますか?

枠に囚われたくないからあえて意識しないことかな。意識してそれを外したときに 困りたくないですから。その時の感覚で、とにかく自由に生きようと決めているんです。若い頃は遊びも仕事もモータースポーツも全力投球で、自由過ぎたこともありましたけど、最近は大人になってきたのでだいぶ落ち着いてきました(笑)。自分の行動がいい意味で限られてきたから、モータースポーツのための時間をすごく集中できるようになりましたね。

織戸学氏イメージ2

いつも全開が自分のスタイル

ニックネーム“MAX織戸”の由来は?

15年位前、自分で付けました。世界を意識していたから海外の人に覚えてもらいやすいイイ名前はないかと考えて。マナブのMだし、いつも“全開”で走る自分のスタイルにもマッチしたんです。

プロフェッショナルとはどういうことですか?

環境を正確に把握して準備をし、ベストを尽くすこと。そして必要とされる以上、与えられたこと以上の結果を出してお返しをしたいですね。

織戸学氏イメージ2

時には立ち止まる勇気を持つ

第一線で活躍し続けられる、モチベーションの保ち方とは?

年中走り続けて疲れることもありますよ。そういう時は、ガッツリ休憩します。動きだせるまでじっくり待つんです。どうあがいても無駄な時期ってありますから。若い頃はジタバタして結構失敗もしましたが、自分のサイクルやバイオリズムが分かるようになってくると、ダメな時はあまり動いてもしょうがないと学ぶんです。最近はそういう感覚には従うようにして、無理をしないようにしていますね。


リアルとバーチャルの融合

本格的レーシング・シュミレーターを開発されたのは?

ずっとリアルばかり追い求めてきた方だけど、4-5年前にこれを知ってすごく面白いなと。元々メカニックだったのでモノづくりには人一倍こだわりがあったから、モノづくりができる環境をつくりたくてこの工場をつくったんです。左のシュミレーターが130R YOKOHAMAオリジナルで開発したものです。 こういう機械を使えば、将来レーシングドライバーを目指す人達や、サーキットを走行したことのない人にいろいろなことを教えられます。自分が得てきた経験を次の世代に伝えていく年齢にも差し掛かっていますしね。元々教えることは好きなんですよ、金八先生になりたかったくらいだから(笑)。有名なレーシングガレージと共同開発した一号機がやっと完成して、これからがすごく楽しみですね。

数字がすべてのシビアな世界

織戸さんにとって時間とは?

モータースポーツのスピードの世界では、とにかく数字がすべて。実にはっきり結果が出て、0コンマ何秒を追及する、ごまかしの利かないシビアな世界です。オフの時間はユルく過ごしたいのも、本能的にオンとオフを使い分けてバランスをとっているのかもしれないですね。
レーシングの世界は時計好きな選手、多いですよ。アジアの選手でも時計だけはすごくイイものをしていたりする。僕が独立して初めて買ったのも、機械式時計でした。時計は男にとって自分を象徴するものでもあるから、自然と人の腕元にも目がいきますね。

自分を取り戻す時間

常に緊張感にさらされる織戸さんのリラックス方法とは?

寝ることと、料理です。スーパーに材料買いに行って、料理本を見ながら作って・・・主婦みたいなことが好きなんです。キッチンでお酒を飲みながら料理をしていると、集中できてストレスから解放されて、いろんなことがリセットされます。ナチュラルな発想が浮かんできて慌ててメモをとったりするのも、キッチンに立っている時だったりするんです。


織戸 学 http://www.orido.jp/
Profile

1968年千葉県生まれ。
ドリコンGP初代総合チャンピオン、91年の富士フレッシュマンレースでデビュー、その後、全日本GT選手権(GT500サードスープラなど)、ル・マン24時間レース、NASCARウインストンカップ(現スプリントカップ)、D1グランプリなどに参戦。1997年と2009年には、スーパーGT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得。300クラス(ランボルギーニ)などで活躍するレーシングドライバー。異色の経歴とそのキャラクターから、多くの逸話を持ちファンも多い。
愛車はTOYOTA SUPRA、LEXUS LS、ハーレーダビッドソンなど。シュミレーターを常設するMAX ORIDO RACING代表の実業家でもあり、現在小さなレーシングマシン、その名も“チーター”を開発、世界に広める活動も手掛けている。

Special Thanks:MAX ORIDO Racing and 130R YOKOHAMA
Photography:Yoshinori Eto
Facebook: Max Orido